一昨日、スポーツ選手や芸能人の人たちが
「被災地の人々に元気を与えたい」ということに
思いっきり違和感、不快感がある、と書いたのですが、
結構反響が大きかったので続編です。
ある読者からメールをいただきました。
以下引用
スポーツや芸術って、もっとシンプルなものじゃないのか。
より早く走りたい、より遠くへ投げたい、より強くなりたい、
もっと美しい音色を出したい、
もっと衝撃的な色を出したい。
これらの中に、
被災地のためとか、日本を元気にするためとか
そういうものは入れて欲しくないと思う。
「被災地のため」が免罪符だった状況から
「被災地のため」が踏み絵の状況に変わったような気がする。
鋭い分析ですね。「免罪符」と「踏み絵」はきわめてわかりやすい。ふと、今年の甲子園の選手宣誓を聞いていなかったなとYouTubへ
これはひどい。こんなことを高校生が自分で作ったと考えるのは
不自然。ゴーストライターがいますね。「免罪符」と「踏み絵」を
思いっきり意識している気配り似非教員の姿が見える。
今年の春の選抜の選手宣誓は良かった記憶があるのでこれまたYouTubeで
これはわかる。自分が生まれた年に神戸の震災があったこと、
自分が何が出来るのかを単刀直入におもいをこめている感じが見える。
さらに言えば、ちょっと前までは全部これだった気がするのですが、
「宣誓!我ら選手一同はスポーツマン精神に
のっとり正々堂々と戦うことを誓います!」これでいいと思うんですが、何かあります?
CMでもありますよね
「この度の東日本大震災の被災者の方々に心からのお見舞いを申し上げます」
テレビを通じて言うことか?その金があったら義捐金としてほしい。
「これを言っておけば間違いないから」というスポンサーか代理店がいます。
被災者の人たちだって、「俺たちはそんなに可哀想なのか」と
そろそろ辟易としている人もいるんじゃないかな。
それぞれが自分の立場でベストを尽くし被災地のために出来ることをしましょう。
それも、静かに、そっと。

この方の爪の垢を煎じて飲みましょう。
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「がんばれ」とか「元気をだせ」とかは禁句の場合もあります。
この問題に関しては、
パッシング覚悟でキャンペーンをはった方が
良い時期になっているような気がします。
何というか、
日本全体が変な方向に行こうとしていることの
一つの象徴のような印象を受けており、
止めるために行動した方が良いのではないか
という気がしています。
りゅうぼんさん、先頭、お願いできませんか?
私も実名で応援するくらいの覚悟しますので。